ONE FUKUOKA

ふるさと福岡再発見プロジェクト

ONE FUKUOKAとは

MENU

筑豊地域

糸田町の歴史・観光

福岡県糸田町のご紹介

糸田町

福岡市と北九州市のほぼ中間にある筑豊地域の中で、遠賀川流域田川盆地の北西に位置する面積約8km²、人口約9,000人の福岡県で2番目に小さい町です。豊穣な耕地と豊富な湧水に恵まれ、弥生時代から稲作文化の先進地として栄え、「いとよき田」が転じて「いとだ」の地名が誕生したと言われています。稲作やいちご、花き栽培、スッポンの養殖などが盛んです。

糸田城址(いとだじょうし)

糸田城主、北条貞義は糸田に住したので糸田姓を名乗った。貞義の曽祖父にあたる北条実時(1224~76)は、蒙古襲来に揺れ動く激動の時代に鎌倉幕府の要職を歴任し、政治面で活躍する一方、学問の分野にも力をつくし、神奈川県の現存する中世歴史博物館・金沢文庫の礎を築いた。文永・弘安の蒙古襲来の後も、日本は蒙古対策を中心として防御をかためるため、1297年実時の子実政(貞義の祖父)が鎮西探題(鎌倉幕府の九州全地域の政務、訴訟、軍事を司る要職)として博多に下向してくる。ここに九州全体を統治する最高機関が設立し、鎌倉幕府が滅亡するまで九州沿岸の異国警固体制を維持した。実時の子、政顕(まさあき)(貞義の父)は、第2代鎮西探題を務め、貞義は豊前国守護(地方の軍事、警察などを担当する職)として探題を補佐する重要な役割を果たした。しかし、約1世紀半にわたる鎌倉幕府による支配体制が崩壊するや、博多の探題城も反北条勢の攻撃を受けて落城した。
貞義は兄高政と呼応し、堀口城(場所不明)に立て籠もったが、大友勢により包囲され、貞義はじめ一族郎党ことごとく討死(1334)、前後して糸田城も落城した。
糸田が豊前国守護の所在地として重要視されたのは、治安維持の任務を担う守護が、幕府の地方支配の中心であり、平家支配が深く浸透していた豊前、特に豊前と筑前両国にまたがる平家武士団を統率するのに一番適当な地であったからと推測される。

●所在地 福岡県田川郡糸田町
●築城期 永仁5年(1297)ごろ
●築城者 北条政顕か
●城 主 糸田(北条)貞義
●形 態 丘城(館跡か)
●遺 構 ほとんど消滅
●高 さ 標高20m(比高10m)

水落の滝

「道の駅いとだ」から、国道201号線を飯塚方面に少し進んだ場所に、静かに流れる小さな滝があります。
秋には紅葉、冬には雪景色に変わる風光明媚な自然の穴場スポットです。

【住  所】 福岡県田川郡糸田町245-8
【交通手段】 糸田駅から車で10分
【施設情報】 駐車場8台
【料  金】 無料

金村神社

【町指定文化財 第1号 金村神社天井絵(有形民俗文化財)】
田川郡糸田町の真岡団地の一角にある「金村神社」は、今から1300年前、この地の渇水を救った湧き水「泌泉(たぎり)」をもたらしたことで知られる、当時の大和政権の軍事の最高権力者・大伴金村をしのんで建立されたお社。拝殿の天井には15枚の天井絵(町指定文化財)が飾られており、これは「金村神社天井絵」といって、70センチ真四角の杉板の材料に虎・猫・鳥などの代表的な動物の絵や、花菖蒲や水仙等の草木画取り混ぜて色彩鮮やかに描かれています。また中国や日本の故事をもとにした天井絵も3枚ほど書かれてあります。特に、拝殿正面から見て一番左の花菖蒲が描かれている天井絵には、「文久癸笈日応需写梅逸(仲野)南耕」という文章に署名と落款が押してあり、意味は「文久3年日に需に応じて写した。梅逸(仲野・落款)南耕」という内容の文章です。
このほかにも天井絵は、町内では木ノ実神社、田川郡内では田川市岩亀神社、大任町野原神社にあり、これらのものと並び田川を代表する天井絵です。
この天井絵は、平成4年7月3日に町指定文化財第1号に指定されました。虎・猫・鳥などの代表的な動物の絵や、花菖蒲や水仙等の草木画を織り交ぜて色鮮やかに描かれています。また、毎年3月15日には、豊作を祈る祭り「お田植祭」も開催され、拝殿前の広場でユーモラスで滑稽な舞や演技が披露されています。この金村神社拝殿の天井に15枚の絵がはめ込んであります。

【場   所】 福岡県田川郡糸田町1145番地 金村神社
【問い合わせ】TEL:0947-26-0038

糸田町の地名の起こりとされている泌泉(たぎり)

泌川の上流には、糸田町の地名の起こりとされている伝説の「泌泉」があります。田川市との境に近い水田地帯に石の鳥居と石垣をめぐらせた小さな池で、関の山一帯に降った雨水が地下の石灰岩水脈をくぐり抜けて湧出するこの泉は、古来から生活水として、またかんがい用水として1300年以上にわたってこの地域の稲作を支えてきました。
また歴史的には、豊日別命や神功皇后などにまつわる伝説も残されています。しかしながら、戦後から石炭の乱掘により、泌泉の湧水量は近年減少し、そのため、平成9年度に泌泉を復活させるための事業計画に取組み、周辺の公園化も併せて行い、現在では町民の憩いの場として整備されております。

【町指定文化財 第4号 泌 泉(史跡)】
 福岡県神社誌には、次のような泌泉で記されています。
「糸田荘金村権現宮は天智天皇7年(668)年秋8月、右大臣金連公によって造営された物である。公が天皇に従い筑紫要害を巡視のおり、糸田の郷に至り、権現の示現を蒙(こうむ)った。鉾をもって探知したところ神泉を得、灌漑(かんがい)に多いに役に立った」灌漑でも泌ががり180町歩(180ヘクタール)を潤しています。泌泉は現在、鉱害によって水が止まっていますが、「いとよき田」で糸田の名称起源とも言われております。この泌泉は、平成10年6月30日に町指定史跡になっております。

【場所】福岡県田川郡糸田町648番地

糸田町返礼品「たぎり米」

糸田町の返礼品には、特産品でもあるいとだ泌泉米が人気となっています。糸田町の名前の由来にもなっている、いと良き田で大切に育てられた美味しいお米です。
返礼品の内容・特徴
古くから稲作が盛んな糸田町で、地元農家が丹精込めて育て上げました。「泌泉米(たぎりまい)」と呼ばれるのは町内で収穫されたものだけ。
ふっくらもちもちのお米は、炊きたてはもちろん冷めても美味しくいただけます。地域でも評判の美味しいお米をぜひご賞味ください。

ふるさと納税の返礼品はコチラ↓↓ 

いとだ泌泉米 (玄米 40kg)

寄付金額:40,000円

糸田町の取り組み一覧