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福岡県築上町の伝統芸能「神楽」の紹介

福岡県築上町のご紹介

築上町

築上町は福岡県の東部、周防灘に位置し、北は行橋市、西はみやこ町、東は豊前市、南は大分県に接しています。南はほとんど山林で占められており、そこを源とする多くの河川が北部の平野を潤し、周防灘に注いでいます。
また、北部を北西から南東にかけて国道10号および東九州自動車道(椎田道路)が貫き、これらと交差して主要地方道や一般県道などが整備され、北九州・大分市などの地方中核都市と連絡しています。空の玄関である北九州空港までは約20キロメートル圏に位置しており、恵まれた立地条件にあります。
気候は、瀬戸内海型気候に属し、比較的温暖で、少雨、乾燥地域です。

地域に伝承される神楽の舞

築上町には7団体の神楽団体があり、すべての団体が豊前神楽として「国指定重要無形民俗文化財」に指定されています。
築上町を含む2市5町を京築地域といい、この地域では、京築神楽として親しまれています。
京築神楽の演目のひとつである湯立神楽には、修験道の影響を色濃くみることができます。ぜひ奉納神楽などにお越しになり、ご覧になってはいかがでしょうか?

赤幡神楽保存会(あかはたかぐらほぞんかい)

築城郡16社家により小笠原藩の氏神様である、小倉の八坂神社に京都郡神楽と隔年毎に神楽を奉納。
赤幡神楽は、明治7年に赤幡岩戸神楽講として社家神楽から伝承された。
昭和39年12月8日県無形文化財指定、昭和51年4月24日県無形民俗文化財指定されたが、神楽を継承するのに人手不足となり昭和53年に地元の有志が赤幡岩戸神楽保存会を発足し、この伝統と格式を重んじた由緒ある社家神楽を継承し活動しています。

櫟原神楽講(いちぎばるかぐらこう)

昭和29年に鬼の衣装と神楽面を寄贈されたのを契機に、みやこ町犀川の扇谷神楽から貴船神社氏子に伝えられ、奉納されるようになったのが始まりです。
昭和40年より、小学生にも教えるようになり、現在まで続いています。
講員の高齢化や小中学生も少なくなりましたが、子ども時代に参加していた若い世代の勧誘にも努め、地域あげて神楽の伝承に努めています。

岩丸神楽講(いわまるかぐらこう)

平安時代の白河天皇の頃、この地区に大干ばつがあり、そのときに神楽を奉納したのが始まりだと伝えられています。
明治の初め一度途絶えましたが、明治の中頃には復興。
戦後の昭和21年春に10名余りで再興しました。
現在は、三十三番神楽の中でも蛇神楽や銀杏神楽を中心に演じています。

小原神楽講(おばらかぐらこう)

明治初期に伝承され、現在まで1度も絶やすことなく続いています。
過疎化・高齢化・少子化が進む中、地元の小原小学校の児童や保護者、地域の若者が協力し合い、神楽の練習に励んでいます。
小原神楽の囃子は多くの節回しと組み合わせを持っているのが特徴です。
初代の舞い方からほぼ忠実に伝わっており、格調高いものとなっています。

寒田神楽講(さわだかぐらこう)

寛文5年(1665年)、山霊(さんれい)神社の社殿が火災で焼失したとき、神職の岡田平治が火中に飛び込み鎮火祭を奉じたことから、鎮火祭として湯立神楽が奉納されるようになったと言われています。
火渡りや幣へいきり切、人形祓いの行事に修験道の影響が見られます。
寒田山霊神社での奉納のほか、町行事や町内外のイベントにも精力的に参加しています。今では古くから伝わる伝統芸能を後世に残そうと、小学生や若者が多数加わり、活気のある神楽講となっています。
笛や太鼓、カネの三拍子にも注目してください。

岩戸見神社岩戸神楽伝法寺保存会(いわとみじんじゃいわとかぐらでんぽうじほぞんかい)

岩戸見神社は建久6年(1195年)に現在地に社殿を遷して以来、祭礼の時には神官による神楽が奉納されていました。
しかし、明治維新後は、神楽の維持が困難になったため、熊谷房重宮司より地元伝法寺氏子に受け継がれ、以後、一度も途絶えることなく現在に至っています。
岩戸見神社の奉納に加え、要請があれば各地の神社の奉納にも応じています。

湊金富神楽保存会(みなときんとみかぐらほぞんかい)

金富神楽は、出雲流神楽の系統に属する豊前系の岩戸神楽です。
金富神社で、明治初期まで旧築城郡十六社家によって構成され各神社に奉納されていました。
明治維新後に社家神楽が困難になった時、金富神社の氏子有志に受け継がれました。
金富神社の除夜・元旦祭や幸神祭、夏越祭での神楽奉納のほか、町内のイベントに参加しています。

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築上町の取り組み一覧